津軽弁の日
津軽弁の日って?
高木恭三
1903(明治36)年
青森市大字米町133番戸にて生まれる。父高木啓太郎、母なみ。
1916(大正5)年 橋本小学校を卒業、県立青森中学校に入学。
1921(大正10)年 父啓太郎没、67歳。青森中学校を卒業、千葉医専(現・千葉医科大学)を受験するが落第
1922(大正11)年 東津軽郡袰月高等小学校(現・大泊小学校)の代用教員となる。在任期間は4ヶ月
1923(大正12)年 官立弘前高等学校理科甲類に入学。
1926(大正15)年 弘前高等学校理科甲類第3回生として卒業。青森日報社に入社。
同社の主筆として迎えられた福士幸次郎を知り、地方主義の立場から方言詩を書きはじめる。岡村ふちと結婚。新居は北片岡町。
1927(昭和2)年 青森日報社を辞め、麻布の史談出版社に就職。
1928(昭和3)年 史談出版社倒産。満州行きを決意し奉天に着く。
1929(昭和4)年 満州医科大学本科へ補欠入学。妻ふち没、26歳。
1931(昭和6)年 方言詩集『まるめろ』初版発行。
1933(昭和8)年 山口ノボリと挙式。3月、満州医科大学卒業。
1935(昭和10)年 自家版詩集『わが鎮魂祭』(椎の木社)発行。
1939(昭和14)年 第三詩集『鴉の裔』(作文社)発行。第一回満州文話会文芸賞受賞。
1942(昭和17)年 短編集『奉天城附近』(作文社)発行。
1944(昭和19)年 「読書と採光」(主論文)により、医学博士号を受ける。
1946(昭和21)年 日本丸で引き揚げ。弘前診療所に勤務。
1948(昭和23)年 弘前市北川端1番地に高木眼科医院を開業。浮彫叢書1『肉体の図』(青森美術社)発行。
1954(昭和29)年 方言詩集『まるめろ』(風の木社)再刊。RAB(青森放送)企画で『まるめろ』を朗読(ギター伴奏・木村繁)。
1959(昭和34)年 『地方演劇』第7号に、戯曲「帰郷」(三幕七場)発表。
1962(昭和37)年 定本『まるめろ』(青柳書店)発行。
1963(昭和38)年 新潮社より、詩・高木恭造、文・石坂洋次郎、写真・小島一郎の『津軽』(石坂洋次郎編)刊行。
1965(昭和40)年 『方言による三つの物語』(津軽書房)、第四詩集『詩人でない詩の詩でない詩』(作文社)発行。
1973(昭和48)年 渋谷ジァンジァンで朗読会を開く。
1976(昭和51)年 第五詩集『架空の都会』、方言詩集『雪女』(津軽書房)刊行。
1982(昭和57)年・ ライブ版LPレコード「わが青春のまるめろ 高木恭造の世界」(青森演劇鑑賞協会、三上寛商店製作)発売。
1985(昭和60)年 昭和60年度地域文化功労賞、文部大臣表彰を受ける。
1987(昭和62)年 青森県立中央病院で妻ノボリ等家族に見守られて永眠。84歳。
《参考資料・『高木恭造詩文集 第三巻/山田尚製作年譜』(津軽書房)》